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【本】橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか/鎌田慧

4582824528橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか
平凡社 2009-06

by G-Tools


事件モノ、ノンフィクション。
事件は記憶に新しい、メディアでも大々的に取り上げられた「畠山鈴香」受刑者が、我が子と近所の子どもを続けて殺した事件です。
この畠山鈴香に対して、一般的にみなさんはどう感じているでしょうか?
わたし個人の抱いたイメージを振り返ってみると・・・
「だらしない母親」「すぐにキレる母親」「みだらな母親」が「子どもの世話をするのがイヤで」「虐待のすえに」「子どもを殺し」「近所のこどももついでに殺した」・・・・と言う感じかな~と思います。
言い過ぎのきらいはあるかもしれないけど、一般的にもおおむねこう言うイメージを抱いているのではないでしょうか。
少なくとも、取材のカメラに対して、大声で怒鳴ったりキレたりした映像からは、いいイメージは持ちません。そのうえ、自分の娘を手にかけて「警察は事件なのに事故として処理した」と自ら騒ぎ立て、最終的にはすぐ近所の子どもまで殺してしまうと言う一連の流れの中では、ヒステリックな犯人に同情する余地はない、たとえ「記憶が混濁していた」とか「子どもの頃からイジメにあっていた」とか「父親に虐待を受けていた」と言うことを聞いても、「だからって殺して良いわけはない」と言う結論が出ます。
このノンフィクションの著者は、どちらかと言うと犯人側に寄り過ぎている感じです。
ノンフィクションにしてはずいぶん感情的に犯人を擁護している部分が多いと、感じました。
しかし、その敢えてそういう著書にした著者の文面からは、一般的にメディアから受けたイメージをそのままに受け取ってしまうことの危うさが切々と伝わります。
あまりにもメディアに、感情を操作されてしまっていること、検察側が自分たちの作ったイメージに当てはめて捜査を進めたことによって、真実が置き去りにされたのでは・・と気付かされます。
そして本書は、事件の真実を追究するという司法のあり方をも問う問題作になっています。
おりしも裁判員裁判が幕を開け、たった4日間で量刑を決めてしまうと言うことに対し、とても重大な問題提起をしていると感じました。
事件の背景をきちんと探り、なぜこう言う犯行をしたのか、きちんと検証して原因究明し、同じような犯罪が二度と起こらないようにすることこそが司法のあり方ではないか・・・
「畠山鈴香は私だったかもしれない」と思った母親が何人もいたことを、忘れてはならないのではと思ったのでした。

犯人に同情しても、殺された子どもたちの命は帰らない・・とは言え、子どもの頃のイジメ(そもそも小1のとき担任に「水子の霊がついている、お払いをしなければならない」と言われたらしい。いくらその担任が悪いとは言えクラスメートに与えたダメージは大きく「心霊写真」と言うあだ名を付けられたとか。それ以後いじめられがちな子どもになったようです)や、父親から受けた虐待の数々、そしてその後の恵まれない人生には同情を禁じ得ません。人格障害や発達障害等のことも書かれているけど、この幼児期の体験が根底にあることは、想像に難くないでしょう。
自分の子どもを殺しながら、それを「健忘」してしまい、子どもが死んだことを「事件」ではなく「事故」として処理された事に憤りを感じ、警察に「事件だから調べて欲しい」と談判し、街頭でチラシを配るなどの行動に出る・・この矛盾は、かい離性人格障害の一種だそうだけど、それをマスコミや警察は「演技」と判断。だけど、よく考えてみれば「殺した」のなら「事故」として処理されればホッとするのが本当のところであって、やっぱり鈴香受刑者の行動の矛盾はもっと良く審議されるべきだった。

もしも、娘の彩香ちゃんが死んだときにもっと突き詰めて捜査されていれば、二件目の事件「豪憲くん殺害事件」は起きなかったのです。

結局「健忘」という壁に阻まれ、「橋の上」で何があったのか、母親が娘になにをしたのか、何をしなかったのかということが曖昧でうやむやなままに刑は確定しました。
人が人を裁くということの難しさ、裁判員裁判制度の是非など、色んなことをじっくりと考えさせられる一冊となりました。




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