【本】弟を殺した彼と、僕。/原田正治

やっと東海地方も梅雨明けしたらしく、今日は朝から久しぶりの青空が見えてます。空気もからっとしているので、洗濯物をたくさんたくさん、布団も干しシーツも洗い・・・、乾けばソレを畳んだり片付けたりがまたたくさん・・・・と、主婦の皆さんは今日は忙しいでしょう。明日はまた曇りや雨の予報で、今日だけの青空となるとなおの事仕事が多いです。草も取らなくちゃ。雨がたくさん降って、草が伸び放題に伸びてます。娘の塾は今日は朝昼晩、全部送り迎えです。私の歯医者もあります。ふぅ。
DVD「向かいの窓」「いつか読書する日」「カッコーの巣の上で」「その土曜日、7時58分」なども見ました。
映画館にハリーポッターを見に行きました。感想書かないと忘れてしまう・・・。
でも、今日は家事が最優先ですね。




4591082350弟を殺した彼と、僕。
ポプラ社 2004-08

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仕事中で事故で死んだ男性が、実は会社の社長に保険金をかけられて、そのお金目当てに殺されていた殺人事件の被害者だった・・・という、事件の、被害者の兄の手による手記。
最初は「事故」として処理されて、1年以上経ってから別の殺人事件がきっかけで、「実は弟は殺人事件の被害者だった」と知らされた著者。
最初は犯人が憎いばかりで「死刑に!」と思っていましたが、他人の目から見れば「意外にも」著者は犯人の死刑を望まず、生きて罪を贖って欲しいと考えるようになります。
だけど、特筆すべきは、著者がこの犯人を「長谷川君」と、「君」付けで呼ぶこと。
犯人と文通らしき事をして、そのうえに面会もしていること。
そして、犯人の死刑を望んでいなかったこと。
・・・と、上記の3点を取ってみただけでも、まるでこの著者が犯人を「赦している」ような錯覚を覚えてしまいますが、そうではないのです。
犯人は捕まって、裁判にかけられ、死刑判決を受け、死刑になります。
でも、だからと言って著者の気持ちが「おさまった」ということはなく、相変わらず弟を殺されたと言う悲しみや苦しみや恨みの中で生きているのです。
この本で考えさせられたのは「被害者の遺族の気持ちを慮って」という、判決文の一部分について。
もともと、「それなら、被害者が天涯孤独だったらどうなるんだろう?」と思っていたんだけど、今回この本を読んで「では、被害者の遺族が死刑を望まなかったらどうなるんだろう」と言う疑問も加わりました。

殺人事件は起こしたほうの家族も辛い思いをします。犯行によって、本書の加害者の、まず親代わりの姉が自殺してしまい、そして次には加害者自身の息子が自殺してしまいます。
なんとも辛い結末です。

しかしそれ以上に殺人の被害者側には、本当に理不尽な苦しみばかりが課せられてしまうと言う事も、とても良く伝わってきました。
たとえば、最初、この弟は「事故死」だったから「保険金」が下りたのだけど、その後「実は事故死じゃなく殺人だった」と分かったら、保険会社は下りた保険金の返還を求めてきます。でも、葬儀の費用や、保険会社が勧めた保険にそのまま入ったりして(弟の死亡保険でまた兄も保険に入ることになりました)保険金はそのまま残ってはいない。それでも全額返金を要求されて、保険の解約(買い取り)など、手を尽くしてもやっぱり何百万円かは借金が出来てしまったらしいんです。
犯人である長谷川君は刑務所の中で3度の食事を与えられてヌクヌクと生きているのに、殺されたほうは借金だらけと言う矛盾。
それに著者はこの事件に執着する為に家庭がうまく行かなくなります。
仕事先でも近所の人たちからも、事件の絡みで眺められてしまうと言うつらさなど、被害者なのに・・・・とやりきれないです。
奥さんにしてみれば、もっと家庭に目を向けて欲しかったでしょう。

たしかに犯人が死刑になったからと言って「ジ・エンド」になることではない、しかし、本当の「被害者遺族の感情」は当事者にしかわからないのです。当事者でもないのに死刑制度の是非を論じる事は、やめたほうがいいんじゃないのか・・・。などなど・・・。
色々考えさせられました。
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13:50 : [本・タイトル]あ行トラックバック(0)  コメント(0)

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