ぼくは考える木/ポーシャ アイバーセン

4152089946ぼくは考える木―自閉症の少年詩人と探る脳のふしぎな世界
Portia Iversen 小川 敏子
早川書房 2009-01

by G-Tools


自閉症について、とてもおおきく誤解していたと思う。
自閉症の人たちの多くがこんな風に誤解されていたとすれば、私たちは今まで彼らにとんでもないことをしてきてしまったことになるのでは・・・。
普段ほんとうに当たり前のように、触りながら見て音を聞く・・・だけど、ここに登場するティトは、音を聴いているときは目の前にあっても、物を見ることが出来ません。見ているときは聞くことが出来ない。その時々に一つの感覚しか使えないのです。ティトには、人の顔はまるで海の波のように形を変えて見えるらしい。一度にたくさんの情報が入り込んでくると、頭の中はカオスになるのだそう。自分の体さえも、ここにあることが実感できず、実感する為に手をヒラヒラさせたり揺れたり(こう言う行為をスティミングというのだそう)するんだそうです。
このように聴覚型の自閉症は、運動する事がまったく苦手。なんと「見る」ことすらも「動き」なのだと・・。動かなくても見えるじゃないかと思ってしまう。だけど、ある種の人には、たとえば視力に問題はない場合でも、見ると言う行為が一つの難関なのだと知りました。なんと言う不思議で神秘的な脳の働き。当たり前に思ってることが当たり前ではないと気付くとき、自分の傲慢さを思い知ります。
そして見た目はまったく普通の人間と違う動き方や、状態なのだけど、実は普通と同じ、あるいは普通以上に知能が高く、物事をとてもよく「わかっている」。だけど、それを表現する手段がないのです。
インドのティトと母親ソマによって、実は自閉症の人にも知性がありコミュニケーションを取る事が出来るということが明らかになります。
ティトの書いた数々の詩の美しい事。
もちろんそこに到達するまでに、ふたりはすごい労力や努力をしている。それはまるで、ヘレン・ケラーとサリバン先生のように。ティトとソマのふたりも言わば「奇跡の人」なのです。
ポーシャは自分の息子、ダヴがティトとよく似たタイプの自閉症であることから、コミュニケーションをとることができるかもという望みを持って、ティトとソマをアメリカに呼びます。
専門家が提唱する数々の検査は、自閉症の人間には苦痛でしかないのに、決して正しい結果を知らせてくれるものではなく、何度も何度も繰り返して検査に憤り落胆しながらも、ポーシャは自閉症の人たちの為にも諦めることなく、活動を続けます。正しく理解する為に。
著者ポーシャが、息子ダヴの知能は高く、今まで自分が息子にしてきたことの無意味だったと知ったとき、コミュニケーションが取れるのだと思う喜び、知能が普通で嬉しい、それ以上に今まで何年もかけて息子にしてきた働きかけや教育が間違っていたと知れば・・・。
ポーシャのあふれる感情が胸を揺すぶります。
ソマのメソッドによってダヴは格段に進歩していく。きっかけがあれば、言葉を覚え、知性を取り戻したヘレンケラーのように、彼らの世界も180度変わるのです。
今後研究が進み、ティトやダブのように、真実の姿を周囲に理解されるようになることを切に願います。
ポーシャの家族の最後の描写に心から胸が温もるのを感じて、感慨深かったです。

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