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【本】沈黙/遠藤周作

沈黙 (新潮文庫)
沈黙 (新潮文庫)遠藤 周作

新潮社 1981-10-19
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先日、マーティン・スコセッシ監督の映画版「沈黙―サイレンス―」を見て、4度目の再読をしました。
(ネタバレを含みます)
こういう所に拘ったらダメなのかもしれないけど、言葉の壁はどうしたのか?と今回初めて思った。
映画版では日本の江戸時代の百姓たちが英語をしゃべっているし、原作本では書簡を認める主人公ロドリゴが、長崎地方の方言を使っているという不思議。その当時の日本人が百姓に限らず英語(ほんとはポルトガル語)をしゃべれるとも思えないのはもちろん、日本に来て間がないポルトガル人宣教師に方言まで正しく使えるとも思えず…
そんなことを言ってる感想は見たことがないけども…(^-^;
どうして拘るかというと、信仰とは各宗教によりそれぞれの教義があるはず。
その教義を正しく理解するためには、師の教えを聞かなくてはならないと思う。
聞くためには、言葉はとても重要だから。
禁止されても、自分の信じる神を、命をかけて信仰する彼らの姿は尊いとは思いますが、本当にその教義を信じ得たのかなぁなどと疑問にも感じてしまうのです。そこは殉教ということを考えたら根本問題なのではなどと思ってしまう。
潜伏していた彼らは、師の教えに触れることができたのか?
師の教えを聞くことができなければ、信仰は自己流のものになりかねないのではないかな?と思うのです。
特段調べ物をしたわけでもなく、自分なりの勝手な憶測で書いていますので、ご了承ください(^^;
しかし、この小説の中にも、ロドリゴが疑念を抱くシーンがあるのですよね。
隠れキリシタンたちは司祭との出遇い、告解などの機会に飢えていました。
求めて求めて、噂を聞けば危険を冒して遠方からロドリゴたちに会いに来る。
そうした信者たちは、十字架やメダイユや聖画などを欲します。
そこでロドリゴは自分のロザリオを解いて、ひとつぶずつ信者たちに与えながら「何か間違っているのではないか」と不安に思うのです。
のちにイノウエやフェレイラが日本の宗教観をロドリゴに語りますが、
日本人は「神の概念をもたなかったし、これからももてないだろう」
「日本人とは人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」
「日本人は人間を美化したり誇張したものを神とよぶ。人間と同じ存在を持つものと神とよぶ。だがそれは教会の神ではない」
ロドリゴにとっては青天の霹靂です。
頑なに踏み絵を拒否して死んでいった信徒たちも、そしてこの国で命を危機にさらしながら布教活動した自分も
そして死んでいったガルペは…。
「言葉の壁」があったために、先人(宣教師)たちが正しい教義を伝えられなかったのではないかと反論する場面もあるんですが、それにしても日本人はデウスを大日と名前を変えてしまって自分たちの神様を作り上げてしまっている、たとえ言葉を正確に伝られたとしても日本人にはわれらの神を理解することはできなかっただろうと、言われてしまったり。
本書の中でロドリゴやフェレイラが日本人のキリシタンを解釈、納得したように、遠藤周作氏も日本人キリシタンをとらえていたのでしょうか。日本では信仰の根は腐ってしまい、育たない。泥沼なのだとかひどいことを言っています。
遠藤氏はそう思っていたのではないでしょうか。
ロドリゴは最後には、自分の信じる神は、教会が信じる神とは違うものだと思います。
日本人には日本人の信じる神がいて、自分にも自分の神がいる。
そしてその神は「いいんだよ、踏んでもいいんだよ。踏まれるために私はいるのだよ」と話しかけてくれます。
「沈黙」というタイトルとは真逆で、神は「いいんだよ」と語りかけているのです。
私は4度目の読書ではじめて「本当は遠藤氏は何が言いたかったのかな」と思いました(^^;
読んでいるこちらに、お前なら転ばずに死ぬことができたか?
キチジローとお前に違いはあるのか?
という問いかけもあったと思うし、日本人の宗教観を嘆くというと言葉は悪いけど諦観する気持ちもあったのかなと思うし、
なによりも、神は我々と一緒にいるんだと言ってるのかなと思います。
私個人としては、その教義を守らなかったら、その信仰を守っているとは言えないのではないかと、
独自の解釈では本当の意味の信仰とは言えないと思う気持ちは否めません。
だから結局遠藤氏はこの物語でほんとうに言いたいことは何だったのかなと。
そしてそう言う問いこそが遠藤氏の言いたいことだったのかも?
と思いました。
変な解釈、変な感想だったらすみません(^^;



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17:38 : [本・タイトル]た行トラックバック(0)  コメント(2)
おお、続けて本の感想ですね。
キリスト教でいう「神の愛」に当たる良い日本語が無くて「神の御大切」と訳していたと何かの小説で読んだ記憶があります。
shortさんも好きな帚木さんの『守教』もキリシタン弾圧の話ですが、日本に来た宣教師たちが会うたびに言葉を覚えて行く姿なども書かれていますよ。

2018/08/10(金) 16:30:55 | Todo23 │ URL | [編集]

にーさま、ワケがわからなくなったけど書いてしまいました(^^;

そうか―やっぱり昔は「愛」という言葉がなかったんですね
時代劇で「愛しています」なんて出てくると違和感があるのはそれですね。
帚木さん「守教」って最近の作品なのですね!
機会があれば読んで見ます。
なんせ最近は図書館に行くのが億劫で
kindleでDLして読んでいますので、文庫落ちしたものしかDLできない。。(^^;
またチェックします!ありがとうございました

2018/08/18(土) 17:13:52 | short │ URL | [編集]

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