【本】白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由 /吉岡 逸夫

4062727129白人はイルカを食べてもOKで日本人はNGの本当の理由 (講談社プラスアルファ新書)
吉岡 逸夫
講談社 2011-04-21

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今現在の騒動に関してひとつの答えをくれる好著。

常日頃から、どうしてクジラ漁やクジラ食に、外国から色々と言われなければならないんだろう?
中にはハンガーストライキとかする少女もいたので、なぜそこまで?と不思議だったし、正直ムカついた。(不気味でもあった。「自分の正義」をそこまで信じられる根拠はどこに?)
でも、言われているように、本当にクジラは絶滅の危機に面しているなら、あるいは、国際的に孤立するほどの「悪行」と取られてしまうのなら、そのリスクを犯してまで捕鯨って続けなければならないほどのことか?
伝統と言うが、中には、それが時代の流れならあえて逆らうこともないのでは?と思う気持ちもあり、スッキリしなかった。
そこへ来て「ザ・コーブ」のアカデミー受賞。
色んな観点から論議が巻き起こっていた。一体誰の言うことが正しいのか。まったく分からない。
でも、確かに感じたことは、「太地町の猟師さんたちが気の毒だ」「シーシェパード(SS)は横暴だ」
でも上映をするべきか否かはよくわからない。言論表現の自由と言われたら、それは確かにそうだと思う。
ずっと個人的にモヤモヤしていた。(先日NHKのクローズアップ現代だったかなんかでイルカ漁の特集を組んでいたが、それを見てもスッキリしなかったなぁ)

しかし、本書を読んでかなりすっきりと分かった。

クジラは(イルカも・・・イルカもクジラもほぼ同じ生き物らしいので、今後「捕鯨」と書くときはイルカも含めることにします)食べて良し。気兼ねせずに食べて良いのだ。
日本は科学的にクジラの生息数など調べていて、全体数の分かる種類にしか捕鯨許可を出していない。
市場に出回るクジラの肉は、ちゃんと計算されて許可を得た肉。誰からも後ろ指を刺されるいわれはない。
それどころか、海産資源として考えて、他の魚を捕るのならクジラもやっぱり捕らねばバランスが狂うらしい。

捕鯨反対を唱える人たちの中には、「イルカやクジラは可愛いし頭がいいし人間に近いから食べるべきではない」と言う人がいる。
でも、「可愛いから食べてはダメ」というなら「可愛くない生き物は食べていいのか」になるし、また現在食用や毛皮用に殺されている動物の中に、可愛い生き物はいないのか?となる。
日本が科学的根拠に基づいて捕鯨をしているのに、相手側は「感情」で迫ってくる。この両者の「会話」が成り立つこと自体がムリなのだ、ということが痛いほど分かった。
つまり私が「もやもや」しているのは、仕方がないことなのだろう。それが分かっただけでもスッキリしたと言うもの。

ハンストまでして捕鯨禁止を訴えた少女に言いたい。クジラやイルカが可哀想と言うなら、牛やブタも可哀想だろう。家畜や自然の生き物の区別なく命は尊いのだから。突き詰めれば植物だって命があるのだから食べたら可哀想だろう。そう思うのなら自分が食べることをやめたら良い。だけど、その価値観を他人に押し付けるべきではない。自分がひそかに実行したら良い話ではないか。
そしてもしもそれを実行するとする。でもそれでは人は生きられない。自分と言う命を殺すことになる。それは自分の命をないがしろにしていることにならないか。命が尊いのは自他の区別もないのだから。
話が飛躍しすぎたが、あの少女もきっと「歪んだ真実」をそのまま素直に信じてしまい、事実を知らずにそう言う行動をとったのだろうし、大方の反捕鯨信者達は、科学的な事実を知らずに自分の「思い」をぶつけてきている。
どんな生物も他の生物の命を奪って生きている。それを「いただきます」と言う言葉に込めることができる日本人と、その概念がない国の人間とでは、分かり合えないのも当然なのかもしれない。


それから、本書を読んですごくビックリしたが、反捕鯨の運動に関してアメリカ人のなんとも身勝手なこと。
もとより、アメリカは捕鯨大国だった。日本人はクジラを捕れば余すことなく食べたり利用したりするが、アメリカは脂だけが欲しかった。他の全ては捨てていたと言う。そして、アメリカなどの捕鯨のために、クジラの数が減ったとも言う。
そんなアメリカが反捕鯨になったのは、まず、ベトナム戦争で枯葉剤を撒き散らし国際的に非難を浴びたニクソン政権が、その非難の矛先を逸らすために、捕鯨反対運動に目をつけたというのだ。
その当時のアメリカの反捕鯨運動にしても、アメリカの牧場経営者達が日本に牛の肉を売るために「クジラを食べないでビーフを食べろ」という、これまた身勝手で横柄な理屈から発したものらしい。(黒船だって自分たちの捕鯨に都合がいいから「開国せよ」と迫った。いつもいつも勝手でワガママだなー!)
そしてそもそも、反捕鯨を掲げながらも、マッコウクジラの脳の脂が宇宙開発に必要だったので、その間もマッコウクジラだけは捕っていたというのだ。代替の脂が開発されて、反捕鯨は確固たる運動になったらしい。
知れば知るほどアメリカの身勝手なこと。腹わたが煮えくり返るようだ。
結局、現在の反捕鯨にしても科学的な根拠はまったくないのに、感情で展開しているし、また当人達の中にも主義主張はさまざまで統一性がないようだ。

著者は、西洋人の日本に対する差別を感じている。それはひょっとして著者だけの思い込みかもしれない。でも、戦争相手が同じ白人だったら、アメリカはひょっとしたら原爆も落とさなかっただろうし、枯葉剤も撒かなかっただろうというのだ。
ありうる話かも知れないと、私も著者に同感したのだが、本当はどうなのだろう。

「ザ・コーブ」にはさまざまな虚構が混じっているらしい。イルカが殺された場面を見て女性が泣くシーンなどは、「編集」で作られた場面らしいし、水産庁の役人が水銀中毒でクビになったなど、堂々たる「嘘」まで盛り込まれていると言う。
それを「ノンフィクションだから、事実を確認するべき」と言う意見に対して「映画は娯楽だから」と割り切る考えもあるとか。著者は、そうなったらもうそれは「ノンフィクション」ではない、と言う。
そう言う「フィクション交じりのノンフィクション」については、何の注釈も入れないままで上映するのは、やはり間違っているかもしれないと思う。


タイトルは、デンマーク領自治州のフェロー諸島の捕鯨を、日本の太地町の猟師さんたちと比べてのこと。フェロー諸島の取材は旅行記としても大変楽しかった。
フェロー諸島にも同じようにSSがやってくるそうだ。でも、彼らは声を大にして自分たちの食文化の正当性を宣伝する。日本人は自己主張が苦手だから、そこに付けこまれてしまうというのだ。
黙って耐えるのは美徳の一種と思うが美徳が美徳として効果にならない、あるいはそこに付け込むなんて、そりゃーちょっと汚いんじゃないの?と思ってしまった。

本書一冊どこを取っても興味深い内容で、色々ともっと書いてみたいが、私がここで紹介するよりも、本書を読んでいただきたい。
私のようにモヤモヤしている方はかなりスッキリされるのではないだろうか。

「クジラを追って半世紀」の著者で財団法人日本クジラ類研究所の大隅清治氏の
「世界が理解する共通言語は科学である。科学的な理解を共有しない限り共通の話し合いは出来ないと思う」
と言う言葉が、とても印象に残った。



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