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【本】あん/ドリアン助川

4591144895([と]1-2)あん (ポプラ文庫)
ドリアン助川
ポプラ社 2015-04-03

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どうしてこの本を読もうと思ったのかな?
何らかのきっかけがあったはずなんだけど思いだせません(^-^;
表紙は女子生徒。でも女子生徒の物語ではありません。
だいじな登場人物ではありますが。
どら焼きを持っています。
どら焼きは重要アイテムでした。

じつは映画の「あん」の存在は知っていました。
そのころ私のポンコツになった読書向きのアンテナにも「和菓子のアン」という本が引っかかっていて、映画の「あん」は「和菓子のアン」の映画化作品だと思い込んでいました。作者も全然違うんですよね(^^;
でも、こちらの「あん」もたしかにどら焼きという和菓子の話だし、ややこしいと思うのは私だけでしょうか?(^^;

話を戻しまして(閑話休題ってやつ)

内容を全然知らずに読んだのですがとてもよかったです。
人生に挫折して(と一言では言ってはいけないと思いますがあらすじとして)どら焼き屋をやっている主人公の仙太郎。
あるとき見知らぬ老女がやってきて、どら焼きの餡を作って、自分をここで働かせてくれと言います。
そんなつもりのなかった仙太郎も、その老女徳江が作る餡子にうなり、いつしか彼女をやとい、その餡を伝授されます。
しだいにお店は繁盛してゆくのですが、とあるきっかけで客足がぱたりと途絶えてしまう。
どら焼き屋をやめ、ほかの店を始めろという店主に、どうしても納得できない仙太郎は、かつての常連のひとりであった女子高生とともに、徳江を訪ねます。
徳江の住んでいる所は…。



ネタバレになりますが…



徳江はハンセン病だったのですね。
ハンセン病とネタばらしになりますが、それを言わないと感想も書けないし、そもそもだいたいがあらすじでそれを言ってしまっていますね(^^;

ハンセン病はほんの少し学習したことがありますが、それはそれはつらい病気だったのですね。
辛いのは世間の差別です。
ハンセン病患者が出たと判明すると、その家は一家離散もありえたぐらい、家族中が差別されたのです。
北条民雄の「いのちの初夜」でもわかりますが(その北条民雄の人生を描いた高山文彦「火花」にも描かれていますが)
ハンセン病と判明すると強制隔離です。
どんな幼い子どもでも、家族からはなされ療養所という名の強制収容所に隔離されます。
その後の扱いは、本書「あん」でも徳江の人生として描かれていますのでここでは言いませんが、ほんとうに壮絶で過酷な人生が待っていました。
どなたであれその体験談を聞くなり読むなりすれば、それはそれは涙なくしては聞けないのですが、その苦しみのもとである「差別」をしてきたのは間違いなく「私たち」なのですよね。
そしてここがまたすごく惨いことなのですが、ハンセン病に対する一般の知識や認識は間違っていたのです。
ハンセン病は感染率も低く、ほとんど感染しないそうです。
遺伝もしません。
発病しても抗生物質で完治します。
19 9 6年に「らい予防法」が廃止されるまで、国の誤った政策は改善されませんでした。
しかし「らい予防法」が廃止されても人々の無理解は続き、患者(完治しているのだから元患者と言うべきですね)の苦しみは続きました。
間違った知識、間違った国策によって苦しめられた人たち。
今もその苦しみが続いています。
徳江もそういう苦しみを背負って生きた人です。
それは惨いと思いますが、さて、自分だったらどうでしょうか。

先日遠藤周作氏の「沈黙」の感想を書きまして、それで思いだしたのですが、遠藤氏の書物の中に(どの本だったか覚えてないのですが)若いころの体験談(だったかな?)として、ハンセン病療養所の慰問に行った時のエピソードが挿入されていました。
慰問チームと療養所チームとで野球をしたというのです。
筆者は1塁を守っていました。
療養所チームが打ち、塁に出ます。
守りのメンバーがボールをとり、一塁に送球。
キャッチして走者にタッチ…が、一瞬ためらってしまったというのです。
触ったら感染する。と言う恐怖に一瞬でも駆られてしまったのです。
その一瞬の恐怖を、そのランナーは見逃しませんでした。
「タッチしたことにしてあげます」みたいなことを言われたとかなんとか。
その若い日の体験が遠藤氏のなかでずっと残っている…うろ覚えですが、そんな内容だったと思います。
それが私たちの姿なんだと思います。

「あん」の中でも、徳江がハンセン病だったと知って敬遠する客たちや、やめさせろと言う店主がいます。
彼らを薄情だと責められません。
自分がその立場ならそうしたのではないでしょうか?

差別は、自分には関係ないと思っているうちはなくなりません。
誰にも差別心があります。
そこに気付かないと何も始まりません。

この「あん」という小説はそれを教えてくれています。

仙太郎は優しい誠実な人物です。気弱な一面があって徳江に押し切られバイトに雇ったり、女子高生に店で騒がれても何も言えず、店主と徳江の板挟みになって困ってしまう、そんな仙太郎が好ましいです。
その仙太郎が徳江との出会いによって再生していく姿も感動的です。
押し付けがましくなく自然体で、ハンセン病に対する思いを表現してあるので、ハンセン病のことを知らない人たちにも良い入門書みたいな役割もあると思いました。

なによりも人生そのものに対する優しさが描かれていると思います。
どんな病気でも、どんな失敗をしても、どんな人間にも、生きていく権利がある。
どんな人にも命は尊いとつたえてくれる、そんな物語です。
仙太郎にエールを送りたくなりますが、それは自分へのエールにもなるような気がしました。

読んでよかった。
ありがとう。









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【本】沈黙/遠藤周作

沈黙 (新潮文庫)
沈黙 (新潮文庫)遠藤 周作

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先日、マーティン・スコセッシ監督の映画版「沈黙―サイレンス―」を見て、4度目の再読をしました。
(ネタバレを含みます)
こういう所に拘ったらダメなのかもしれないけど、言葉の壁はどうしたのか?と今回初めて思った。
映画版では日本の江戸時代の百姓たちが英語をしゃべっているし、原作本では書簡を認める主人公ロドリゴが、長崎地方の方言を使っているという不思議。その当時の日本人が百姓に限らず英語(ほんとはポルトガル語)をしゃべれるとも思えないのはもちろん、日本に来て間がないポルトガル人宣教師に方言まで正しく使えるとも思えず…
そんなことを言ってる感想は見たことがないけども…(^-^;
どうして拘るかというと、信仰とは各宗教によりそれぞれの教義があるはず。
その教義を正しく理解するためには、師の教えを聞かなくてはならないと思う。
聞くためには、言葉はとても重要だから。
禁止されても、自分の信じる神を、命をかけて信仰する彼らの姿は尊いとは思いますが、本当にその教義を信じ得たのかなぁなどと疑問にも感じてしまうのです。そこは殉教ということを考えたら根本問題なのではなどと思ってしまう。
潜伏していた彼らは、師の教えに触れることができたのか?
師の教えを聞くことができなければ、信仰は自己流のものになりかねないのではないかな?と思うのです。
特段調べ物をしたわけでもなく、自分なりの勝手な憶測で書いていますので、ご了承ください(^^;
しかし、この小説の中にも、ロドリゴが疑念を抱くシーンがあるのですよね。
隠れキリシタンたちは司祭との出遇い、告解などの機会に飢えていました。
求めて求めて、噂を聞けば危険を冒して遠方からロドリゴたちに会いに来る。
そうした信者たちは、十字架やメダイユや聖画などを欲します。
そこでロドリゴは自分のロザリオを解いて、ひとつぶずつ信者たちに与えながら「何か間違っているのではないか」と不安に思うのです。
のちにイノウエやフェレイラが日本の宗教観をロドリゴに語りますが、
日本人は「神の概念をもたなかったし、これからももてないだろう」
「日本人とは人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」
「日本人は人間を美化したり誇張したものを神とよぶ。人間と同じ存在を持つものと神とよぶ。だがそれは教会の神ではない」
ロドリゴにとっては青天の霹靂です。
頑なに踏み絵を拒否して死んでいった信徒たちも、そしてこの国で命を危機にさらしながら布教活動した自分も
そして死んでいったガルペは…。
「言葉の壁」があったために、先人(宣教師)たちが正しい教義を伝えられなかったのではないかと反論する場面もあるんですが、それにしても日本人はデウスを大日と名前を変えてしまって自分たちの神様を作り上げてしまっている、たとえ言葉を正確に伝られたとしても日本人にはわれらの神を理解することはできなかっただろうと、言われてしまったり。
本書の中でロドリゴやフェレイラが日本人のキリシタンを解釈、納得したように、遠藤周作氏も日本人キリシタンをとらえていたのでしょうか。日本では信仰の根は腐ってしまい、育たない。泥沼なのだとかひどいことを言っています。
遠藤氏はそう思っていたのではないでしょうか。
ロドリゴは最後には、自分の信じる神は、教会が信じる神とは違うものだと思います。
日本人には日本人の信じる神がいて、自分にも自分の神がいる。
そしてその神は「いいんだよ、踏んでもいいんだよ。踏まれるために私はいるのだよ」と話しかけてくれます。
「沈黙」というタイトルとは真逆で、神は「いいんだよ」と語りかけているのです。
私は4度目の読書ではじめて「本当は遠藤氏は何が言いたかったのかな」と思いました(^^;
読んでいるこちらに、お前なら転ばずに死ぬことができたか?
キチジローとお前に違いはあるのか?
という問いかけもあったと思うし、日本人の宗教観を嘆くというと言葉は悪いけど諦観する気持ちもあったのかなと思うし、
なによりも、神は我々と一緒にいるんだと言ってるのかなと思います。
私個人としては、その教義を守らなかったら、その信仰を守っているとは言えないのではないかと、
独自の解釈では本当の意味の信仰とは言えないと思う気持ちは否めません。
だから結局遠藤氏はこの物語でほんとうに言いたいことは何だったのかなと。
そしてそう言う問いこそが遠藤氏の言いたいことだったのかも?
と思いました。
変な解釈、変な感想だったらすみません(^^;



17:38 : [本・タイトル]た行トラックバック(0)  コメント(2)

【遊】名古屋港水族館

先日、急に思い立って名古屋港水族館に行ってきました。
私にとっては2度目かな?
シャチがいる水族館(国内)は鴨川シーワールドとこの名古屋港水族館だけらしいです。
残念ながらシャチは写真がうまく撮れなくて(^^;
写真なし(^^;

イルカのショーは楽しかったデス。
写真をぺたぺた。
レポの代わりに(^^;

名古屋港の眺め
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ここでイルカショー
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イルカたちかわいいし賢い!
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チンアナゴすきです(笑)
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18:31 : [そのほか]写真トラックバック(0)  コメント(2)