2008'04.16
| ピンポンさん | |
![]() | 城島 充 おすすめ平均 ![]() 偶然の重なりが必然に 天才ゆえの不器用さと苦悩を見守った暖かな視線 天才であり、奇人であり……秀逸な評伝! 卓球を知らない読者だってきっと楽しめるはず! 「ミスター卓球」、「ピンポン外交官」Amazonで詳しく見る by G-Tools |
どうしてこの本を読む気になったのか、今になったらきっかけは忘れているんですが、多分Amazonの書評を見て気になったんだと思う。見て下さいよ、この★の数を。ノンフィクション好きとしては、見過ごせなかったんですよね。きっと。
これは荻村伊智朗という卓球選手の評伝です。
わたしの子どもたちは3人それぞれ「一応」って言う感じで「卓球部」に在籍していた経験があるけど、上の二人は真剣にやってなかったようだし、末娘は現在進行形で部員ですが、いつも早々に負けては帰ってくる、弱小部員?です。
なので、卓球には思いいれもないし、最近こそテレビで試合が中継されるようになったけど、それほど馴染みがないスポーツの一つ。
そんなわたしだから、卓球がオリンピックの正式種目になったのが、ソウル五輪からだったということも知らなかったし(「そうだったっけかな」と言う程度ですね)今は中国が圧倒的に強いけど、それ以前は日本が世界のトップに立っていたと言う事も知らなかった、そしてその中でもトッププレイヤーとして、この評伝の荻村伊智朗というひとがいて、世界選手権で12個のメダルを獲得するという偉業をなしたと言う事も知らなかった。もちろん、12個のメダルって言うのがどれほどのものかということすらも、大して分からないんだけど・・。そのうえ、この荻村と言う人がどんなに、日本だけではなく、世界的にスポーツ業界で活躍、貢献したかも知りませんでした。亡くなった時、メディアはトップニュースで扱ったらしいけど、全然覚えてもなかった。(スミマセン…)
前振りが長くてスミマセン。そんなわたし、って言う事が言いたかったんです。
そんなわたしが、何も知らずに、本当に何も知らずに読み始めた本書。
噂に違わず、素晴らしかったです。「そんなわたし」が読んでも、充分感動しました。
最初はこの荻村氏、素質がないだの、卓球に向いてないだの、言われたようです。
でも、驚異的な練習や訓練、自分で考え出した戦術「51パーセント理論」などで、見事に試合に勝ち進み、やがては世界一になるんです。(余談ですが、訓練の中に、電車に乗っているときに爪先立ちになったり、車窓を流れる電信柱を目で追うなどしているんですが、ひょっとして野球マンガの「ドカベン」のエピソードはこの荻村氏の訓練をヒントにしたのかもね)
あまりにも練習熱心だったり、求めるものが高度すぎて他の部員たちとの間に溝や軋轢ができたのは、一度二度ではなかったようだし、若かりし日の荻村氏は決して人好きするタイプでもなく、敬遠されたり疎まれたりしたこともあったよう。ナイフのように尖った孤高の獅子という風情でしょうか。
それでも、卓球の事だけを考えて、真の高みに上り詰めていく、どこまで登ってもまだ飽くことがない勝利への執念や、その姿勢は神々しいほどなのでした。
しかし荻村氏は「卓球バカ」では決してなかったのです。
大変頭脳明晰で、回転が速くそして文学的にも優れているので、彼の残した文章は美しく心に迫るものがあるのも印象的です。
文武両道という言葉だけでは足りない、まさに「天才」と言えるアスリートの姿がここにありました。
ゴッホやミケランジェロを見て深く感銘を受けるその感性の鋭さにも瞠目です。
荻村氏が、決して卓球バカではなかった、と言うのはそれだけではないのです。
引退する前も引退してからも、その視野は非常に広く、世界を見据え、世界平和を心から望み、スポーツが平和の手段になれば良いと考えていたのです。
「スポーツの本質を曲げずに、政治が歩みよりやすい場を設定する。それがスポーツ界にいる人間の力量。スポーツが政治を動かす事はできないが、援護射撃は出来る」と言った彼。ITTF(国際卓球連盟)会長として「ピンポン外交」を繰り広げてゆきます。
文化大革命で世界から孤立した中国を、卓球と言うスポーツを通じて国際復帰の場を作ろうと、周恩来に進言したことも。(会長就任よりも以前の事ですが)
「卓球はアジアをつなぐ」とは、荻村氏が発案したスローガンだそうです。
南北朝鮮が、統一コリアとして世界選手権に出たときも、荻村氏の尽力があったから。
あるいは、バルセロナ五輪では、アパルトヘイトの南アフリカの選手をITTF会長の推薦枠で32年ぶりに出場させたりと、発想・実行力ともに「ノーベル平和賞」レベル。
不治の病で62歳と言う若さでこの世を去る、まさにその最期の瞬間まで卓球のために走り回っていたような人だったのです。
そして、何よりも彼を支えた人、武蔵野の小さな卓球場の女主人である久枝さんとの交流が胸を打ちます。卓球を始めて間がなく、まだ一勝もあげたことのない学生のころから、ご飯を食べさせたり洗濯をしたり、献身的に荻村氏の世話を焼いてあげて支えてきました。
「おばさん、おばさん」と呼び慕う荻村氏に久枝さんは実の母親以上に親身になり、ふたりは実の母子以上の結びつきがあったのではないでしょうか。その母親や、後に荻村氏が家庭を持ったときその家族たちに対しても、本当の家族のように優しい愛情を注いだ人なのです。
荻村氏だけではなく、自身の経営する卓球場に寄ってくる人たちに対しても、同じように愛情深く接したようなのですが、この久枝さんとの交流、結びつきが全編にわたって描かれていて、胸を熱く打つのです。そのように、若者たちに援助する久枝さんを、また影で支えたのはご主人の深い理解であった事も、感動の所以なのです。
一番ジーンとして泣けたのは、初めて世界チャンピオンになったとき。久枝さんの卓球場を練習の拠点にしていた、荻村氏の所属する「吉祥クラブ」が去ってしまう。久枝さんは荻村氏も吉祥クラブとともによその練習場に拠点を移すのじゃないかと思う。我が子が親離れをしたときのような寂しさや喪失感があったのではないでしょうか。
だけどいつも必ず、荻村氏は久枝さんのところに戻ってくる。
「おばさんのところでやるに決まってるじゃない」と・・。
天界からこの蒼い惑星の
いちばんあたたかく緑なる点を探すと
武蔵野卓球場がみつかるかもしれない
こんな冒頭で始まる詩を久枝さんに送った荻村氏の生涯。評伝を読んでこんなにも感動して泣けたのは、初めてでした。戦後の日本の歩みとしても、良く理解できるし、世界の中で荻村氏が活躍した頃どんなに日本が嫌われていたかなど、知りませんでした。それをスポーツマンシップによって溶いていく荻村氏がやっぱり素晴らしいと思う。オススメの一冊です。






























